風の町 麻美

2018年01月09日

 木村から町の合併話などを聞きながら日本酒を飲んでいた時だ、あちこちのテーブルから「おお!」「わあ!、麻美だ」という声が上がり、参加者の視線が一斉に会場の入り口に注がれた。そこに立っていたのは幼なじみの金沢麻美であった。

 私の家と麻美の家は垣根越しに隣り合っていたので、私と麻美は保育園から一緒だった。小学校までは、一緒にプールに行ったり、麻美の家で遊んだりした。母親の帰りが遅いときは、よく麻美の家で夕食を一緒に食べた。母と二人の食卓と違う、家族の明るさと賑やかさがそこにはあった。しかし、麻美の胸が膨らみはじめた頃から、私は麻美と上手く話せなくなった。中学に入ると二人の距離はどんどん離れた。スポーツも勉強も出来た麻美は学校で人気者の優等生になり、私は劣等感を抱えた学生になった。麻美が「秀ちゃん」と声をかけてきただけで体が強張り、「何か用かよ」とつっけんどんに答えて、その場から逃げた。麻美が都内の有名看護大を卒業した後に外国人医師と結婚し別れたことは知っていたが、それ以外の事は全く知らなかった。

 均整のとれた体つきの麻美は、ダークグレーのスーツに長い髪が良く似合っていた。田舎町の居酒屋とは明らかに不似合いであった。入ってきた麻美に萩原が「金沢さん!こっちだよ、ここだよ、ここ」と大きな声をかけて手招きした。

 私から見える二つ先のテーブルに麻美は座り、萩原を取り巻く同級生の女性と話していた。私は横目でちらりちらりと麻美の様子を伺いながら、手の届く肴を食べながら、チビチビと日本酒をのんでいた。徳江は、自慢の料理を次々に持ってきて、自慢そうに振る舞った。何を食べても同じような味がした。

 麻美が登場すると、会場は活気づいた。しかし、私に話しかけてくる人は相変わらず誰もいなかった。「来なければよかった」と私は思い始めていた。一人で手酌で呑みながら、「こんな田舎町は合併で無くなればよい」「母の家の解体にはいくらかかるのだろうか」と破壊的なことばかり考えるようになっていた。

 そろそろ帰ろうと思い、立ち上がろうとして片膝を立てた時である。「秀ちゃん元気だった」と後ろから声がした。振り返ると麻美が徳利を持って横すわりしている。シャネルの匂いが漂った。麻美から漂う都会的な匂いで幾分気持ちは持ち直し「あっちゃんこそ、元気だったのか」と、昔の呼びかたで麻美に応えた。敬子と別れ母が亡くなってから、女性に対する情愛のようなものは小さく萎んでしまっていたが、麻美と話すうちに、そうした感情が、わずかだが蘇ってくるのを感じた。「秀ちゃんも東京にいるんだってね」と麻美は言った。私は一流と世間では通っている製薬会社の名前を告げた。「へー、すごいじゃない。本社は六本木よね」と笑顔になり、昔から変わらない半円型の大きな目が幼い頃と同じようにキラキラと輝いた。「あっちゃんも東京なんだろ。今、何してるん」と聞いた。麻美はスーツから一枚の名刺を出して私の手渡した。名刺には、「国立がんセンター 緩和ケア病棟主任」と書いてあった。そこは、私が営業の仕事で月に何回か病院で、そこに勤務する安西啓介という精神科医の顔が浮かんだ。母が亡くなった後に眠れなくなり相談した先生だ。製薬会社の社員が会うことができるのは医師か薬剤師ばかりで病棟に入ることはない。そのため、私のような立場で看護師と顔見知りになる機会は殆どなかった。自分の近くに麻美がいることを知り、私の胸がときめいた。すぐに麻美の名刺を自分の内ポケットにしまった。酔った私と麻美は、東京や医療の話で盛り上がった。六本木ヒルズの店や新宿のゴールデン街など、東京では誰もが交わす酒席の話題で話が続いた。他の同級生たちは別々の場所で小さなグループをつくり話し始めている。

 麻美は、幼い頃の話しをはじめた。虫が浮いていた町営プール、雑巾掃除が日課だった木造の小学校、春と秋に神楽が舞った八幡様の祭。私は、ひさしぶりに笑い、暖かい気持ちになった。麻美の胸元の白い肌には銀色のネックレスが揺れ、ダークグレーのスカートから伸びている足はスラッと長くて細かった。

 麻美が母の話題を語り始めた。「私、秀ちゃんの家に遊びに行った時、お母さんから折り紙を教わったのよ」、母は折り紙が得意で、私と麻美にいろんなものを折ってくれたことが私にも浮かんだ。母は私と麻美に小さな動物をたくさん折ってくれて、炬燵の上が動物園になった。私は若い母と幼い麻美の笑顔を思い出していた。「秀ちゃん、東京のどこに住んでいるの」と麻美は訊いてきた。「板橋の・・・」と言いかけたところで、男二人が「何、仲良くやってんだよ」と私たちの間に入ってきた。一人は、町の信用金庫に勤めている田島博だったが、もう一人は思い出せない。麻美は、酔客を扱うような上手な態度で彼らの相手をし始めた。「田島くん足早かったよねえ」「手は早くなかったぜ」「金沢はさあ、俺たちのあこがれだったんだぜ」「上山くんのお父さん、亡くなってもう五年くらいたった」「三年だよ。あんな飲んだくれ、バチがあたったんだ」・・・・・・。もう一人は私の家から近いところに住んでいる上山良太だと思い出した。傍にやってきた男二人に麻美を奪われてしまった気持ちになってしまい、私は帰ることを決めた。

「故郷はもう自分を受け入れてはくれない」

話が盛り上がっている三人には挨拶をせず席を立った。木村のところに行き耳元で「明日早いから一足先に帰るわ」と言って、たぬきを出た。